聞いて・認めると人間関係は良くなる

この記事は「聞いて・認めると人間関係は良くなる」です

結論は「積極的に人の話を聞く・認める習慣で人間関係は劇的に良くなる」です

人とのトラブル・付き合いの疲れはスリップのストレスの原因になります。

人間関係が悪いと、腹の立つこと・悩みも増えて疲れ果てます!!

人は誰しも認めてほしい欲求を持っています。

人間関係に「ギブアンドテイク」という面があるのは事実。

ただ「人を認めること」と「自分を肯定できること」は比例関係にあります

これは単に人間関係をよくするテクニックだけではありません

自分を好きになれる・自信を持てる方向へ導いてくれます

かと言って、お人よしになり過ぎてはいけません

世の中には「クレクレ君」がいます。

人間関係で疲れ果てる人は与えすぎてしまうことがよくあります。

与えすぎてしまう行動の裏には、孤独への恐怖があります

相手に認めて欲しい、愛して欲しいという強い願望が潜んでいます。

与えているつもりが、いつしかその関係に依存してしまいがちです

認めよう・理解しようとすることは「人間関係」を良くします

与える習慣を作ることで、人間関係は好転します

依存症・アダルトチルドレンは人間関係が苦手

依存症の人は人間関係が苦手です

一見無難にこなしているように見えても、異常に疲れている人が多いと思います。

アダルトチルドレンも、同じところがあるように思います。

心の底に「人間関係は飴とムチだけ」という刷り込みがあるのでは? と感じます

「飴とムチだけ」と思い込むほど疲れるのは当然です。

「飴とムチ」は競争の原理だからです

競争は必要ですが、すべての人間関係が「ねばならない。さもなくば…」となれば疲れます

一人で酒を飲んで憂さ晴らしをすることになります。

一人酒で憂さ晴らしするのはまさしく私の姿でした

自分一人でやる方が…

依存症者には「自分一人でやる方が…」という人が多くいます

仕事は協力するほど成果は大きくなります。

ところが人間関係が億劫だと、一人でやる方が楽です

自分に与えられた仕事などは、責任を持ちやり遂げようとしますが

  • 「俺は誰からも教えてもらわなかった。だから放っておいてもできるだろう」
  • 「期待するだけ無駄」
  • 「自分さえ、きちんとやっていれば問題ない」

などと言ってコミュニケーションを取る努力を厭います

自分のするべきことは責任を持ってやる

そう語るので、責任感があるようにも見えます。

ただ「他人に無関心で、全体の結果に責任を取ろうとしない」のは問題です

そして自分自身も一人浮いているように感じます

人はみな認めてほしい

人は認めてほしいという欲求がありますよね

誰もが持つ感情です。

他人から「あなたは必要な人だ」と言われ、仲間として認められるのはうれしいことです

それを「自己の重要感」または「自己重要感」といいます。

もしあなたが相手の「自己重要感」を満たしてあげることができたら、相手はとても気分が良くなります

逆に相手の行為を「当然だ」と受け止め、ミスがあれば責めるようなことがあれば、相手はあなたに嫌悪感を抱きます

実際人を認めるのは難しいです。

私などもできているとは到底思えません。

どうしても自分と価値観、趣味、好みが近い人と仲良くなります

人間の持つ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである。
ウィリアム・ジェームズ

相手にしたことは自分に返ってくる

自分が相手に対して行ったことは、自分に返ってきます

これを「返報性の法則」「好意の返報性」などと言います。

  • 気持ちのいい挨拶をする人は、評判がよくなります。
  • 親切な人は、親切を返してもらうことが多くなります。

ですから人を認めることが増えるにつれ、自分も人から認められるようになってきます

人を認めることができるにつれ、自分を肯定できるようになる

しかし、私が本当の意味で認めることが大切だと思うようになったのは、そういうテクニック的なことではありません

人の心の中には鏡があり、鏡に映し出されたものを見るということです

目や耳で得た情報を自分の心でフィルタリングして判断しています。

自助グループでよく見る光景

自助グループで何度も経験したことがあります。

一人でいることを好み、気持ちを閉ざしている人が、徐々に心を開いてくれることがよくあります。

「人間は嫌いだ」という人が信頼できる仲間が増えるにつれ、だんだん「人っていいな」と思えるようになります

私は断酒できなかった頃、自助グループで人の話を聞いても批判ばかりしていました。

  • 「俺はあんなにひどい飲み方をしていない」
  • 「あんな奴は大したことない」
  • 「あいつの言うことは間違っている」

断酒している人を認めようとしませんでした

認めないうちはスリップばかりしていました。

しかし、あるころから

  • 「わかる、わかる」
  • 「自分も同じだった」

人の話が分かり、共感できることが増えました。

人の失敗を自分と結びつけることが増えていくと、ある地点から自分が変わっていくのを感じました

「他人の姿」の中に「自分の姿」を見はじめたのだと思います

ですから、人を認めることができるにつれ、自分を肯定できるようになります

人を許せるようになると、自分を許せるようになります

親がアル中でそのことを憎んでいれば、自分もその嫌いな姿に近づいてきます

仲間のやめたいという気持ちを大切に思うようになれば、自分の断酒へのモチベーションは途切れません

仲間の断酒を認めれば、自分の断酒も安定してきます

飴とムチのループから逃れる

冒頭で「飴とムチ」について書きました。

子供のころに親の言う通りにすれば飴がもらえる

言うことを聞かなければムチで罰せられる

このループから逃れるためにも自分から認めるというのは有効です

自分からアクションを起こすことになるので、自己肯定感はさらに強くなっていきます

認めることと相手の言いなりになることは違う

認めるということは、相手の言葉や行動の背景にあるものを想像して、相手を分かろうとすることです

ただ依存症の人やアダルトチルドレンが気をつけなければいけないことがあります。

「与えすぎ」です

依存症の人やアダルトチルドレンが傷つき・つらい状態の時は引きこもりがちになります。

人間関係を避けたくなり、親密な付き合いを断ちます

しかし、反対の場合もあります。

過度に人に依存してしまう。例えば「相手のためなら何でもする」ときもあります

元気な時は、通常の人間関係を持っているように見えます。

しかし

  • 心から信用・信頼することができない。
  • いつも心のどこかで人を疑う、特に自分への好意などには疑いの目を向ける。
  • 人との付き合いが、どこまで行っても表面的に終わる。

極端な人間関係に陥りがちです

心の中では「憎い気持ち」「親密になりたい気持ち」同時に存在し、葛藤しています

献身的・自己犠牲的に人を助けたり、世話を焼きます。

本来は良いことなのでしょうが、それが自虐的になっている場合が多いのです

  • 自分自身のことは、いつも後回しにする。
  • 自分の心や体のケアをしない。

行き過ぎた行為は与えているのではなく、奪っているのです

  • 世話を焼くことで、相手を縛ります。
  • 助けることで、今の関係を継続しようとします。
  • 献身的な関係に自分が依存し、相手の自由を奪っています。
  • 認め・与えているつもりが、奪っています。

お互いのためにならない関係です

習慣の力で少しでも良くなれば

相手を認めるのは難しいです

私自身が取り組みやすかったのは「話を聞く」ことです

  • 耳を傾ける。
  • 他人の話をさえぎらない。
  • 言いたいことを理解する。

人の話を聞くというのも、ある程度は習慣なのかなと思います。

最初は大変ですが「人の話を聞こう」と思って続けていけば、少しずつできるようになります

100点満点は無理です

今の自分よりも少しでも進歩できれば、時間の経過とともに進歩を自覚できるようになります。

継続が大切

実際に自分が振り回されることなく、相手を認めるのは難しいです。

その時には今の自分にできることと、できないことを分けることが大切だと思っています。

小さなお祈りの「そして、二つのものを見分ける賢さを」ですね

大切なことはできるようになりたいと思い、継続することだと思います。

結論は依存症者は、認めよう・理解しよう・話を聞こうとすることで、人間関係が良くなるです


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