
この記事は「初めてAAミーティングに出た時に思ったこと」です
Twitterを見ているとアルコールに依存しているという自覚がある人でも、自助グループに一度も参加したことがない人は結構います。
今回の記事では「AA」「断酒会」に参加した経験のない方に、私が初めてミーティングに参加した時の体験を書いて具体的にリアルな人とのつながりはどんな感じなのかを伝えることができたらいいかなと考えました。
AAはアルコール依存症の自助グループです。
alcoholics anonymousの頭文字をとっています。
日本語に直訳すれば「匿名のアルコール依存症たち」です。
米国で1930年代に設立されました。
- 私はこのブログ中でも何度かアルコール依存症の自助グループについて書いてきましたが「AA」「断酒会」という具体的な団体についてはあまり書いていません。
- 私はこのブログでは自由に断酒についての自分の考えを書きたいと思っているので「身バレ」して両団体に遠慮したり、ヨイショしたりするのが嫌だからです。
私はアルコール専門病院に入院中「断酒をするためには自助グループは必要だ」「ミーティング・例会に参加しなさい」と言われて反発していました。
しかし、最終的に自助グループで断酒のきっかけをつかみました。自助グループは断酒に関しては魔法のような力があります。

私も内部の人間として発言するときは「自助グループはいいところ」と言います
ただし自助グループには「依存症からの回復」という目的では計り知れないメリットがありますが、多くの方が敬遠するだけのデメリットもあります。
人間関係の問題。そして私から見れば少し時代や環境の変化に十分対応できていると思えない面があります。

私の体験は私独自のものなので「自助グループってどんなところ?」と興味を持った方は他の人の意見も併せて参考にしてください
ネットショッピングのレビュー・口コミの一つのようなものだと思っていただければ幸いです。
- ちなみに家族のためのグループもあります。
- 自助グループの一覧のリンクも貼りました。
私はミーティングに置かれているインスタントコーヒーが好きです。
また霊的成長を目指すので、断酒後にスピリチュアルに目覚める人もいます。
初めてのAAミーティング
断酒会の会長は素晴らしい人格者だったが、例会は嫌いだった
アルコール専門病院入院中、私が住んでいる地域の断酒会の会長が、わざわざ訪ねてきてくれました。
とても親切で誠実な人格者でした。私は好感を抱き尊敬できる人だと思いました。

「この人が本当にアルコールで苦しんでいたのだろうか」というのが私の心に強いインパクトを与えました
私が一番目に入院した病院は「断酒会」とつながりが強く、退院した患者も自助グループに参加する場合は「断酒会」に入会するのが当たり前でした。
- ですから病院の「院内例会」に参加する一般の酒害者(元入院患者が多い)は「断酒会」の会員でした。
- 入院した病院の指導の流れで外泊時に断酒会に参加したのが、本格的な自助グループの参加です。
- しかし私の断酒会の例会の印象は最悪に近いものでした。

私は会長の人柄に惹かれましたが「退院後断酒会に行かなければいけないのか?」というプレッシャーに悩んでいました
AAとの出会い
やがて私の自助グループへの印象を変える出会いがありました。
- もっとも「断酒会」ではなく「AA」です。
- 病院にメッセージを届けに来てくれた「AA」のメンバーとの出会いです。

病院では「AA」は月一回AAメンバーがやってきて、ミーティングを行っていたのですが、私は退院間際になってやっと初めてのAAミーティングに参加しました
- なぜ退院間際になったのかは私は「院内例会」「断酒会」が大嫌いだったので、「どうせ同じようなものだろう」と思っていたからです。
- 退院を間際に迎えた時期にわざわざ「AAミーティング(院内メッセージ)」に参加しようと思ったのかという理由は今の私には正確に思い出せません。
- 暇を持て余していたか、誰かに誘われたのだと思います。
ハンドブック・匿名・メダル・パスできる
病院の小会議室が臨時のミーティング会場でした。
私が中に入ると初老と思われる男性がただ一人、にこやかに笑って出迎えてくれました。
小冊子を「ハンドブックです」と手渡されて、説明を受けました。
- 予約もいらない、手ぶらで構わない
- 匿名なのでニックネームを使う(本名でもOK)
- 献金をする(義務ではない、会費ではないので)
- ミーティングはその日のテーマに沿って行われる
- 司会者をチェアマンという
- メダルがある
など、「院内例会」「断酒会」にはないAAのルールを教えてもらいました。
「話したくない時は『パス』してもいいんだ。ここに来る仲間は、皆人見知りでシャイだから」

「喋りたくない時は、パスできるのか! それならいいな!!」私は強制されたり、縛られたりするのが嫌いでしたから安心しました
私は「Alcoholics Anonymous」と書かれたハンドブックを、ちらちら見ながら、彼の話に聞き入っていました。
「私のニックネームはJです」と初老の男性は、親しみのあるまなざしを向けてくれたのですが、彼の言葉や表情、全体の雰囲気に私は強く惹かれていきました。
「分かち合い」「メッセージを運ぶ」という言葉も私に親近感を抱かせました。
Alcoholics Anonymous
「Anonymousとは匿名という意味です」Jはそう言って「私は匿名だから、自分を語ることができた」と言いました。
「AAではミーティングに初めて参加した人でも、何十年も参加し続けている人でも同じ一人のアルコホリックです」

私はやがて始まった彼の話にも興味をひかれました
Jは自然でフランクで肩の力が抜けていて、しかも時折ユーモラスです。
その中にも自分の内面を見つめる時の正直さに私は感心しました。
感動しているのは自分一人だけ?
すっかり魅了された私が周囲を見渡すと「退屈で仕方がない」といった表情をした入院仲間がいました。

私は「感動しているのは自分一人だけなのか?」と不思議な感覚を味わったのを今も思い出します
やがて時間が来て他の入院仲間たちはそそくさと退出したのですが、私は退院したらぜひミーティングに参加したいからと言って会場の場所を教えてもらい時間いっぱいまでJに質問攻めをしたのです。
私が部屋に戻ると一緒に参加した患者仲間は、つまらないを連発していました。
- 「かっこつけてる」
- 「アーメンじゃないか」
- 「何が、ハーイ太郎(仮名)だ」
私は患者仲間の話を聞いて、確かに少し変だが、病院の院内例会よりよほどましだろうと思っていました。
病院で行われる「例会」は医師からチェックされているようで私には窮屈でした。
いや、窮屈であったということを、今日のミーティングの自由な雰囲気の中で「初めて気づいた」のかもしれません。

ところが「あれなら院内例会のほうがよほどいい」と言って、皆がうなづきあっているのを見て私はさらに驚きました
神がいる
その当時の私は「AAの何が私を引き付けたのか」がわかりませんでした。
- もらったハンドブックを読んで「自分を依存症だと認めることが第一歩だ」という内容は、病院で繰り返し言われていることと同じだと私は感じました。
- 「アルコール依存症者に完治はない、回復しかない」というのも同じ。
- 私が大きく違うと思ったのは「神」という言葉。

私はミーティングの最後にJと一緒に読んだ「小さな祈り」なども、気に入りかけていました
AAの祈り
神様 私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!
変えられるものは変えてゆく勇気を!
そして、二つのものを見わける賢さを!ミーティング・ハンドブックより引用
Jは神についてはごく控えめの語っただけでした。
しかし、私がハンドブックを読んだ時、AAにとっては「自分なりに理解した神の存在」と書かれていました。
- 私は「自分なりに理解した神の存在」が、とても大きいのではないのかと思ったのです。
- 私はキリスト教やカトリックの信仰を持っているわけでも、憧れがあったわけではありません。
- ただ神でも仏でもアラーでも構いませんが、人間の認識を超えた存在がいるということは当然だという感覚は幼いころから私の中にありました。
ところが紆余曲折
- しかし、このまま「AA」一筋になって断酒できるほど私は素直な人間ではありませんでした。
- 紆余曲折の中「断酒会」で断酒のきっかけをいただき「ステップミーティング(ステップセミナー)」をきっかけに「AA」に戻ることができました。
あまり詳細を書くと生臭い話もあり、仲間たちに迷惑が掛かりますので止めておきますが、今は行きたいところへ気楽に参加させてもらっています。
仲間に「誰がミーティングに来ていても気にせず淡々と」とアドバイスしてもらってかなり気楽になりましたし、その通りだと思います。
完全に切れない事が大切だと考えています。

「断酒会」も「AA」も私にとっては両方が必要で、そのおかげで断酒だけでなく多くの学びがあったことに感謝しています
リアルな人の姿には強い影響力がある
今回の記事では「AA」をまったく知らない人を念頭に書きました。
断酒会についてはこちらをどうぞ

私は「AA」のJや「断酒会」の亡くなった会長の姿をリアルに見て「断酒からの回復」が存在するということを信じることができました。
リアルな人の姿からの影響力は活字と比べるとはるかに大きいのは間違いありません。
参考記事

