
この記事は「第一の否認は依存症の打消し」です

結論は「第一の否認を乗り越えると断酒1年は近い?」です
否認というのは「アルコール依存症であることを認めない」ですよね!!
ただここには病名をつけられることへ反発もありますが治療・回復への反発も含まれます。
さらに第一の否認・第二の否認と言われることもあります。
第一の否認は「私はアルコール依存症なんかじゃない!!」という否認。
第二の否認は「酒さえ飲まなければ問題ないだろう」という否認。
今回は第一の否認を私の体験をもとに書いてみました。
第一の否認はアルコール依存症であることを打ち消したい否認です。
言葉の定義ではなく、否認を断酒・回復を妨げる考えとして書きました。
自分自身の断酒を妨げる壁や見えないところに刺さったピンを探すのは大変ですよね。
自分のことはわからなくても他人の姿がよく見えるのはよくあることです。
読者の方の断酒・回復の障害物を見つけるヒントになれば幸いです。
アルコール依存症というレッテルを打ち消したい
初めて医師から「あなたはアルコール依存症です」と言われたのは今から18年前ですが、腹が立った記憶があります。
「アルコール依存症と言うのはアル中のことだろう? 俺は浮浪者じゃないよ!!」
アル中と言うのは意志の弱い、だらしのない人間がなるという先入観が私にもありました。
そしてアル中で入院すると「鉄格子」「電気ショック」というイメージがぼんやりとありそんな治療は受けたくないという反発もありました。
同時にほっとした記憶もあります。
酒を飲んだ自分の狂った・不可解な行動をどう考えればいいかわからずに悩んでいました。
侮辱された怒りと自分の奇怪な行動を認められたという変な感情です。
最初の否認は「俺はアル中じゃない」と言う自分で作り上げた偏見による否認でした。

アルコール依存症と言うとダメ人間とレッテルを貼られたような気がしたな

取りあえず病名がついてほっとしたけどね
一生酒を飲めないという宣告を打ち消したい
アルコール専門病院に入院した時に受け入れられない考えはたくさんありました。
- 「アルコール依存症は一滴も酒を飲めない。断酒以外に方法はない」
- 「何年酒をやめても、一杯の酒で元通りになる」
病院で医師からこのように宣告されましたが、全く納得できませんでした。
これがアルコール依存症の治療について説明を受けたときに感じた否認です。
一生お酒を飲めないということに対する反発です。
この否認は長く続きました。
「お酒は呑んでも呑まれるな」
スマートな酒飲みに憧れていましたから。

節酒じゃダメなのかなぁ

お酒くらいしか楽しみがないから飲ませてあげたいわ
治療への否認は自助グループへの反発
自助グループの印象は悪かった
- 病院で体の治療をする。
- 断酒の継続には自助グループが必要。
- 通院と自助グループの両立で酒を飲まない生活を送れる。
この考え方にはさらに反発を覚えました。
自助グループにはいい印象を持っていませんでした。
- 「傷口のなめ合い」
- 「変な宗教」
- 「活気がない。断酒老人村だな」
自助グループへの偏見
「断酒はしているけど、ただ生きているだけの者同士が、仲良く群れていれば幸せなのだ」と慰めあっている。
私はこの雰囲気・考え方に、全く幻滅していました。

酒をやめるだけが人生のすべてなんて嫌でした
アルコール依存症になってしまったら、依存症老人村の住民たちと昔話をして、傷口をなめあうことが生き残っていく唯一の運命なのか?
そうであるならば断固拒否したいと憤っていました。
この考えは今となれば偏見と言えます。
しかし、私に長くこびりついて離れませんでした。

傷口を舐めあうような関係は嫌だよね
体験を語ることの意味が分からなかった
しかし、それ以上に私がどうしても納得できなかったのは「なぜ体験を語ることが断酒につながるのか」に関する明確な説明が全くなかったことです。
医師が「この手術は○○のリスクはあるが◎◎のメリットがある。考えられる方法の中でベストです」と言うなら私も納得して決断できます。
「体験を語ると、なぜ酒が止まるのか?」
私は医師だけでなくあらゆる人にこの問いを発し続けましたが、いまだに納得のできる答えは頂いたことがありません。
「やってみればわかる」の一本やりでした。

やってみればわかるって言われてもね
群れるのが嫌い
自助グループが嫌いだった理由は他にもありました。
私は基本的に集団行動が嫌いでした。
人と群れるよりも一人でいる方が好きでした。

独りがいいなぁ
しかし実際は会社勤めもずっとしていますし、家庭も持っています。
最低限の人間関係は持っていました。
そしてストレスを抱えていました。
独り酒を飲んでストレスから逃れようとしていました。

独りで飲むとお酒は進むよね
アルコール依存症の特徴の一つに人間関係のまずさがあると思います。
人間関係のストレスや・孤独・疎外感が依存症を推し進めます。
アルコール専門病院や自助グループは人間関係が下手な人ばかりが集まるのでトラブルだらけです。
しかし、今思えばそこには社会復帰の第一歩という意味がありました。
孤独のほうがいいというのも否認の一つだと思っています。

独りの時間は大切です。しっかり確保しましょう

ただ孤独感・疎外感は依存症には危険です
病院スタッフに八つ当たりをしていた
アルコール専門病院を訪れると病院スタッフに文句を言っている患者さんを見かけます。
私は過去の自分を思い出し、複雑な気持ちになります。
感情としてはとてもよくわかります。
入院中のストレスに加えて、大好きなお酒を取り上げられて怒りが収まらないようにも見えるからです。
冷静さを欠いていたのも、意地になっていたのも酒を手放したくないという心理が心の底にありそれがイライラを加速させていたのかもしれないと今は思います。
治療への否認は色々な理由があるように見えて、根本的には酒を手放したくない気持ちが根底にあっての否認でした。
怒りや孤独が断酒を妨げることについては「依存症はHALTの法則を使って回復する」という記事でまとめました。よろしければどうぞ。

結論は「原因自分論」「無力」を認めて断酒する


上の二つの記事で断酒のポイントを書きました。
- 酒を飲んだのは自分に原因があることを認めている
- 酒に無力であることを認めている
これらは第一の否認に特に関係すると思います。
私は結局観念して自助グループへ参加するようになり、これらのことが少しずつ腑に落ちてきました。
断酒1年を突破できた原動力だったように思います。
節酒ではなく断酒しかないと強く決意できたのは仲間の姿からです。
自分一人では知識はどこまで行っても知識だったように思います。
一人一人個性があるので、私の体験は参考程度に考えてください。
人の体験から自分に合った方法を見つけていくことも回復だと思っています。
ヒントになれば幸いです。
参考記事:否認の本質についての考えをまとめました。
