機能不全家族の回復は生きづらさの正体を知ることから

この記事は「機能不全家族の回復は生きづらさの正体を知ることから」です

人間関係で責任を果たせないと悩む、自己中心的と見られる、かたくなさ、人を責める、自分を責める…こういった状態で「うまく行かないな」と感じたことがありますか?

あるいはそういった時心の中で自己否定する、恥だと思う、自分が何をしたいかわからない、罪悪感・怖れ・絶望感を強く感じましたか?

もしそうなら子ども時代の家族が機能していない環境で育った可能性があります

自分の不可解な感情の原因が、子供時代からの抑制癖にある場合があります。

幼少時の家族の掟・暗黙のルール

私は長く自分の心のありのままの姿を認めてきませんでした。

やがて子供のころの親との葛藤が原因であることを知りました。

本当は親に愛されたかったという自分の感情を知るにつれて、わずかですが自分の中に変化が表れました

回復の過程でそのことが自分の個性なのだと思うようになりました

「負債」ばかりと考えてきた毒父との関係は、知らない間に「資産」になっているのかもしれないと考えています

自分の不可解な感情の動きはアダルトチルドレンの抑圧癖と知った

依存症と毒親育ちの関係を知った

私は長い間、自分の心の底には何かもやもやしたものがあると感じてはいました

けれどそれが何かは分かりませんでした。

やがてアルコール依存症の自助グループや、家族のための例会、ミーティングで自分がアダルトチルドレン・毒親育ちであることを自覚しました

そして心の底の自分の意にそわない不可解な感情の動きが、子供のころから身につけてきた抑圧癖にあるのかもしれないと考えるようになりました

暗黙のルール・家族の掟が原因

機能不全家族という言葉がよく使われますが、私の育った家族も毒親毒父と呼ばれる言葉に当てはまる人でした。

父は酒を飲み、暴言・暴力はたえませんでしたが、私たちの家族にはそのことを秘密にしなければいけないという暗黙のルールがありました

同時に家族の間でも、父への不満や怒りを母や妹と語り合うということはタブーでした。

私は祖母や叔父、叔母に可愛がってもらいました。

ですから何度も「本当のこと」を言いたくなったのですが、言えませんでした。

家族の掟を破ることは、恐ろしいことでした

そして今となれば笑ってしまうような妄想ですが、実は祖母と父や母が陰で示し合わせていて、私が秘密をばらさないかどうか試しているのではないかという疑いを持っていました。

私は優しくしてくれた祖母や叔父・叔母のことも信じられなかったのです

感情を表さなくなったのは子供の頃に始まった

父は酒を飲んでいなくても、理不尽な要求を私に突き付けてきました

そしてそれらは子供心にも一貫性のないものだったので、私は絶えずうろたえていました

幼いころは、罵られ、殴られたときの、悲しさ、口惜しさの感情を抑えきれずに毎日泣いていました。

  • 小学校4年生頃から、父の前で泣くことはほとんどなくなりました。
  • 毎日のように殴られていましたが、歯をくいしばって耐えていました。
  • ただ笑うこともなくなりました。

感情を表さなくなりました。やがて母と会話をすることも少なくなりました

これが子供のころからの習慣になりました

私は学校と習い事の剣道以外は、自分の部屋にこもるようになりました

夕食だけが家族一緒でしたが、私は猛スピードでご飯を無理やり口にねじ込み、さっさと部屋に戻っていました

こちらは後に私が感情を表すために行った体験です。

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家族との素直な感情面でのふれあいやスキンシップを求めていた

今となってははっきりと思い出せませんが、父に対しても「ああして欲しい」「こうして欲しい」という子供特有の感情はあったと思うのです

昔、『寺内貫太郎一家』という人気ドラマがあり、毎回父親役と長男役の人が、取っ組み合いの大げんかをするシーンがありました。

私はそのドラマのように父と喧嘩ができればいいのに。喧嘩をして、その後わだかまりもなく、仲の良い親子になれたら嬉しいなと、いつも羨ましく思っていました

素直な感情面でのふれあいやスキンシップを求める気持ちはありました

もっとストレートに言えば「親から愛されたい」という感情がとても強くあったのですが、私は長らくそのことすら忘れていました

自分が何をしたいのかわからなかった

私はいつしかそういったことが当たり前になり、自分の感情を抑え込もうとする癖がしみ込んでしまっていたようです

父の暴力も理不尽な言葉も毎日当たり前のようにありました。

深く悲しい出来事でしたが当たり前の出来事だったので私はそれが自分を苦しめている原因だと気づきませんでした

当然ですが無理やり抑え込んだものは、消えて無くなったわけではありません

毎日当たり前のように繰り返されているから忘れちゃうのね

  • 心の底で出口を失った感情は、やがて腐り、悪臭を放つまでに変化します。
  • それが私の他の人に対する態度、行動に影響を及ぼしていました。
  • また本来の希望や進みたい方向をわかりにくくして、生き方そのものにまでひそかに働きかけていたようです。

こちらは何をしていいかわからなかった自分を克服するための体験談です。

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克服には現実を認めることが大切

機能不全家族を認めることから克服は始まった

私は自分に時折やってくる制御不能な感情や行動、それがもたらした望まぬ結果に苦しんできました

しかし断酒をするようになり、自助グループで自分を見つめる中でやっと親との関係から作り出してきたものを見直す機会を与えられました。

やはり現実を認めることが大切だと思います。

最初は、父から愛されていなかったということを認めることが第一歩でした

私は自分の心と父との関係を切り離していましたが関係があることを認めるのがスタートでした。

機能不全家族でも本当は愛されたかった

やがて愛されなかったという感情の底には、愛されたかったという気持ちが大きく眠っていたことに気づきました

そして、父から愛されていなかったのは自分の思い込みの部分もあることも現実として認めざるを得ませんでした

父から暴力・暴言・理不尽な支配を受けたのは事実です。

ただ父が私に1%の愛情も持っていなかったということは思い込みです

誰のおかげで生活できると思っているんだ!」と父に威圧されるたびに、口惜しさと無力感に打ちひしがれていました。

私は父の言葉が事実だから反抗できなかったのです。

子供のころから社会人になるまで、父が働いたお金で生活していました。

私は自分が親になり、やがて孫ができた今は、愛情のない子供のために働くということはできないことを実感しています

ですから父はやはり私に愛情がなかったわけではありません。

他人と比べて多かったかとか少なかったということは言えるかもしれませんが、それを言い出せばきりがありません

やはりゼロではなかったということは事実なのです。

「負債」から「資産」へ 克服・回復から得たこと

家庭を持ち、子供を育てるのは大変です。

  • 父と私は相性が悪かったのかもしれません。
  • 父は親として未熟だったのかもしれませんし、生き方が下手だったのかもしれません。
  • 私も未熟な親でしたし、随分不器用に生きています。

父との葛藤の中で作り上げてきた心の癖は、今は私の個性でもあります

もし父との関係が私が憧れていた「寺内貫太郎一家」のようなものだったら、私は自分の心を見つめるということはしなかったかもしれません

「負債」ばかりと考えてきた父との関係は、知らない間に「資産」になっているのかもしれないと考えています

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